第49話    「置き竿するべからず」   平成17年03月13日  

昭和38年の夏の頃、一時夜釣りのアジ釣にはまった事がある。食べても美味しいと同じ釣るならアジが良いと家族の者にせがまれたのとそれにもまして公然と釣に行くことが出来たからである。その頃は田舎の事であったから、まだサビキの仕掛けなどは売っておらず、すべて自分で作っていた。自作の仕掛けであるから、サビキ針の本数は自由自在で、最低でも10本、最高で20本と云う仕掛けを何種類かに分けて作る事が出来る。いつもアジ釣に出掛ける時はそんなサビキの仕掛けを10個位は持ち歩いている。

道糸には通常2号を使い、ハリスは決まって1号で金針の上にビーズを数個付けただけの極く簡単な仕掛けである。日の暮れぬうちに釣り場に着いた時は、軟らかいグラスロッドのブッコミ竿に5号の錘りを付けて10本針の仕掛けを使用し、30~40m位遠くへ放り込んで底の障害物に引っかからないようにして底すれすれに早めに引いて来る。この釣では群れに当たれば比較的大型のアジが少なくとも56匹釣れて来る。23匹なら簡単に上がってくるのだが、56匹も同時に釣れて来ると引きが強く中々上がらず結構引き方の楽しめる。しかし、この釣り方は日の暮れぬ前の一時の釣である。

何時もの様に従兄弟と途中で待ち合わせて北防波堤の先端に釣り場を構えた。しばらくると日が暮れて、アジ釣の必需品であるカーバイトのガス燈を灯した。アジをガス燈の薄暗い灯かりで集めて釣る釣り方がこの地方の一般的な釣り方であった。アジを寄せるには、通常海水に少し濁りが入っていた方が沢山集まってくる。普通10本針を使用する人が多いのだが、自分は底から上層までカバー出来る様に、釣り場の深さに応じて16~20本針を使用する。

アジを釣る場所は、日によっても異なるが、やはり潮通しの良い防波堤の先端が最高である。その頃は、まだ庄内竿が盛んに使われていたので、庄内竿の中通しの二間二尺五寸を使っている。グラスロッドに比べ竹竿は軟らかいから、錘は軽目の2号を使用する。アジが釣れて道糸が左右に振れると次々に掛かって来る。竿が柔らかいので小型のアジであれば45匹、大型であれば12匹が限度である。それ以上は幹糸が絡んでしまう事がある。この釣で一番楽しいのは、一番下の鉤に小さなアジをつけておくとたま〜に高級魚のヒラメが食いつくことである。

その日は23日前の雨の影響で濁りが強く何時までたってもアジが寄って来ない。釣れて来るのは12寸のマメアジばかりであった。それを下の鉤に2つも付けて頑張った。ヒラメも寄って来ない。灯台の手前で45人のアジ釣の人たちがいた。釣れているのかと思いどうせ釣れぬからと思い、ついうっかり竿の手元に重石も付けぬまま従兄弟とそちらの法へ見学に行った。5分も過ぎた頃に自分の釣り場に戻ったところが、竿がない。

従兄弟にサビキ仕掛けの竿を借りて引っかかってくるだろうと竿を置いた付近の場所を探す。錘を少し重いものに交換して付近を必死となって捜してもすべて無駄な抵抗であった。人の気配がないということでヒラメが下鉤のマメアジに食いついたに相違ない。その当時の金で中通しの竿の価格は軽く1万円は超えている。田舎であれば銀行の初任給が9千円の時代である。探す事30分も格闘したろうか、結局諦めざるを得なかった。

「自分の不注意は自分が償わねばならぬならない」事を身に沁みて考えさせられた。それからもうひとつ「魚は人気を感じさせない時に食って来る」事。この二つは生涯の教訓となっている。教訓を身をもって覚える事は、あわせて高価な代償を伴うことを知った一日であった。